がんが増えているのか減っているのかを議論するときには、高齢化ということに留意する必要があります。
といいますのも一般的に高齢になるほどがんの死亡率と罹患率(がんにかかる割合)が高くなるからです。
つまり高齢者が多い集団と少ない集団を比べた時に、前者の死亡率、罹患率は高くなります。
そこで年齢分布の影響を除いて考える必要があります。これを年齢調整といいます。
そうしますと、わが国の最近の動向は、年齢調整死亡率は男女とも減少傾向に、また年齢調整罹患率はほぼ横ばいとなっています。
(1)私たちの体は壮大な細胞社会からなっている。
私たちの体は60兆個の細胞から形成されています。ちょうど地球上で約65億の人類が様々な国に住んで社会生活を営んでいるように、細胞たちもそれぞれの場所(臓器)で何らかの働きを果たしています。
すなわち筋肉なら筋肉細胞、脳なら神経細胞、肝臓なら肝細胞、血液なら赤血球、白血球、血小板など、それぞれの機能を担っているのです。
これらはもともとみなさんの両親からもたらされた受精卵という1つの細胞から発生したものなのです。
そのたった1つの細胞から60兆個まで「数が増え」、「役割を与えられていく」わけですが、前者を「増殖」、後者を「分化」と呼んでいます。
成熟した健全な人間社会では、適切な人口と個々の役割が大切なように、細胞社会においても、適切な細胞数と分化がとても大切です。
そのために細胞は増殖、分化が厳密にコントロールされているのですが、それらを司る設計図ともいうべきものを備えています。
細胞の中心部分(核)の中にはゲノムDNAという60億個の塩基が延々と連なったものがあります。
その全ての配列に意味があるわけではなく、ところどころに設計図が記された暗号が隠されており、それらを繋ぎ合わせて、最終的に遺伝子産物=タンパク質を合成します。
この意味ある暗号の部分を遺伝子と呼びます。2003年にそのゲノムDNAが全て解読された結果、ヒトの遺伝子の数は約2万2000個であることが明らかとなりました。(ちなみにハエやメダカは約2万個とあまり大差がありません。
彼らも生物としてはなかなか立派な細胞社会を営んでいるのです。ただしヒトの場合限られた2万2000個を切り貼りして、実際はもう少しバラエティに富んでいるかもしれません。)
(2)がん 〜細胞社会を乱す細胞たち〜
私たちの大事な設計図である遺伝子は様々な外的、内的因子によって、実は日々ダメージを受けています。
前者として喫煙、放射線、紫外線など、後者として活性酸素などが挙げられます。しかし、私たちの体にはこれらの傷を修復する、あるいは修復不能と判断されると細胞自体を排除するという安全装置が備わっています。60兆個の細胞からなる細胞社会の維持も大変です。
これをチェックポイントと呼びます。ところが何らかの原因でその安全装置自体が作動しなくなると、遺伝子の傷を見逃してしまうことになります。たまたま増殖、分化に関与する遺伝子に異常が生じると、どんどん数が増え、しかも機能を果たさない細胞集団が正常部分を占拠し始めます。
たちまち細胞社会に悪影響が出ることは容易に想像できます。このように変異が生じて、がんの原因となりうる遺伝子のことを「がん遺伝子」と呼びます
。
一度制御が失われた細胞が安全装置をもかいくぐり、次第に細胞社会を乱す、それががんというものです。
現在主たるがんの治療方法は、(1)手術療法 (2)放射線療法 (3)化学療法(抗がん剤治療) の3つです。
近年の画像診断技術の向上にがんの早期発見が可能となっており、そういった早期がんでは手術療法(内視鏡による切除も含む)や放射線療法が有効で、その結果完治できるがんも少なくありません。
これが冒頭で記したように、がんの年齢調整死亡率が近年減少している原因でしょう。
しかし残念なことに、進行して発見される方、また再発をしてしまう方も多く、この方々をいかに治癒させることができるかが今後の大きな課題の一つです。
化学療法(抗がん剤治療)は、手術や放射線療法の適応とならない進行、再発がんや血液のがん(白血病やリンパ腫など)で使用されます。
まずがん細胞を試験管(培養皿)で培養します。その上から様々な天然あるいは人工化合物を添加します。がん細胞の増殖を止める、あるいは細胞死を起こすという偶然の結果を期待するわけです。
そこで残った化合物が抗がん剤の候補となります。
例えば、現在世界で最も使用されている抗がん剤の一つであるパクリタキセルはもともと西洋イチイという植物の樹皮から分離された天然化合物です。
このような薬を探し出す方法は、「化合物先にありき」ですので、抗がん作用があとになって解明されるのも少なくありません。
一方長きにわたるがんの基礎研究によって、がんのメカニズムが少しずつ、しかし着実に解き明かされてきました。
正常細胞にはない、がん細胞に特徴的な異常が次々と明らかになり、例えばある割合の乳がんはがん遺伝子ErbB2(HER2)
の増加、肺がんはEGFRの増加が、発がん、悪性度に大きな影響を及ぼすことが知られています。
そこで、そのがん細胞特異的な物質をピンポイントで抑えてやれば、がん細胞に効果があり正常細胞には影響を与えない、すなわち副作用が少ない治療になるのではないかという発想が生まれてきます。
従来の抗がん剤開発のような「化合物先にありき」ではなく「標的先にありき」です。このように開発された抗がん剤のことを「分子標的薬」と呼びます。
現在、いくつかの分子標的薬が実際の臨床現場に使用されておりますし、新たな標的を探して世界中で創薬の試みがなされています。
かつてわが国では、どの抗がん剤を選択するにあたって、医師の経験則によるところが大きく、病院施設によって様々な治療方法が行われてきました。しかし、これではどの治療方法が最良なのか比較検討することが出来ません。
その反省に立って現在は大規模な臨床試験によって導き出された治療方法が標準治療として行われるようになりました。
Evidence Based Medicine(EBM: 確固とした疫学的証拠に基づき、科学的に最良の判断をする医療)と呼ばれます。
それにより、どの臓器のがん、あるいはどんなタイプ(組織型)かによって治療方法は決定されています。
しかし大規模臨床試験は集団間の比較から得られた結論であり、確率的にそれが最良であったとしても、患者一人一人にベストな治療かどうかはまた別問題です。がんの生物学的特徴から見ると、同じ臓器の同じ組織型のがんでも異なることが分かってまいりました。
分子標的治療が現実となった今、これからますますその人に応じた薬剤の選択、感受性の予測、治療効果判定が求められるようになっていくことでしょう。
(1)緩和ケアの考え方
がん患者にとって、がん告知から診断、治療までの経過の中で、様々な面で患者のQOL(Quality Of Life:生活の質、生命の質)に影響を及ぼします。
特に、がんが進行した状態で見つかった場合や、再発し治癒が望めない場合になると、様々な症状に苦しむ場合が多く、患者や家族にとって大きな負担となります。
WHO(世界保健機関)の緩和ケアの定義(2002年)では、「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな(霊的な・魂の)問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、QOLを改善するためのアプローチである」と述べられています。
以前の緩和ケアの定義(1990年WHO)では、「治癒不能な状態の患者および家族に対しておこなわれるケア」と定義されてきました。
このため、ホスピス緩和ケアというと「病気が治らない状態、末期状態にならないとかかることができない」という理解が定着しています。
しかし新しい定義では、「疾患の早期から」ホスピス緩和ケアが提供されるべきであると変更されています。2006年6月に成立した「がん対策基本法」にも、疾患の早期から緩和ケアが提供される体制を作ると明記されています。
もう一つのポイントは、ホスピス緩和ケアとは「命の終わりを見据えた医療」ではなく、「病気によって起きている問題や起きてくる問題に対応する医療」であるということです。
つまり、治る状態か治らない状態かということは、ホスピス緩和ケアを受けるかどうかには全く関係ないということを意味します。
(2)がん患者の全人的な痛みを捉える
がん患者が最も早期から苦しめられ,患者のQOLを低下させる大きな原因に,がんに関連した痛みがあげられます。
痛みとは,それを体験している人が痛いと訴えるものすべてであって、痛みがあると訴えるときはいつでも存在しているものとされます(*1)。
つまり、患者の痛みは、医療者サイドで判断するものではなく、あくまでの患者の主観的な感覚であり、その体験を聴くことから、患者の痛みへの理解がはじまるのです。
近年、WHOがん性疼痛治療法の普及により、薬物療法による疼痛緩和の手法が確立されつつあります。
がん患者が体験する痛みの特徴としては、大多数が持続性で、ほぼ半数は強い痛みであり、不眠をもたらし、食欲を低下させるなど、患者のQOLの側面を妨げます。
さらに、がん患者の痛みは、身体的な痛みだけでなく、精神的・社会的・スピリチュアルな痛みが絡み合うとされます
(*2)。
従って、がん患者には身体的な痛みを取り去ったからといってすべての痛みから解放されるわけではなく、身体的痛み以外の心理的・社会的・霊的な「痛み」を呈する場合が多いのです。
実際に臨床現場では、身体的痛みのマネジメントがある程度出来てから、社会的役割の喪失や、人生への問い、経済的負担などによる「痛み」を訴える患者に頻繁に遭遇することがあります。
そのため,身体的な痛みだけではなく患者が体験するすべての痛みを理解すべきであり、医療従事者は全人的なアプローチを行う必要性があります。このような身体的・精神的・社会的・霊的痛みを伴うことをトータルペインと呼び、シシリーソンダースが唱えた概念であります。
トータルペインは、4つの側面が均等に現れてくるのではなく、顕在的な身体的苦痛が医療者の関心をひきつけ、痛みや病気そのものへの対応がうまく行かない場合に、患者の不安や不満などの精神的な苦痛に気づき、さまざまな喪失体験をもつ患者の姿が浮かび上がってくる(*4)とされています。
医療現場ではじめに医療者の関心をひきつけることは、「身体的苦痛」であることが多いのです。
身体的な痛みへの対応は、WHOがん疼痛治療法による薬物療法でほぼ確立されており、医療者が、まず取り組まなければならないものです。
身体的苦痛が緩和されない限り、患者は正常に判断や思考が機能しないことが多くなり、その人らしく過ごすことが難しくなります。また、患者が医療者に信頼を置くのも、身体的痛みが解かれることが大きく影響します。
一方「精神的苦痛」に対しては、十分に時間をとって、患者の言葉を傾聴し、感情に焦点を当てながら理解的態度を取ることが大切です
(*5)。
また「社会的苦痛」に対する援助は、どのような援助が出来るのかは、医療チームで話し合い、患者理解を深めた上で、出来うる援助を提供していくことが大切となります。
「スピリチュアルペイン」については,人間の生き方の根元に対する援助であり、患者の苦痛に傾聴できる忍耐、共感する感受性、関わりきろうとする意志、しっかりとした人生観や死生観、患者の価値観を尊重し、配慮する謙虚さと包容力、どんな状態になっても慰めと希望を提供できる能力が必要です5)。
このような対応は、基本的に、どのような人であっても持ち合わせている「自分という存在の意味」「生と死の意味」を理解しようとする姿勢が必要です。
このように、がん患者には様々な苦痛を呈する場合が多く、身体的苦痛だけでなく、その人が体験する様々な苦痛に対して目をむけ、包括的な援助を多職種チームで行っていくことが求められています。
参考資料